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「嫌だ。」が言えなかった私が、自分の欲に素直になったその末路。

初めまして。今年度、株式会社プルークスに入社いたしました田栗 汐織と申します。
入社前、スマホの画面に穴が空くほど読んだプルチャンで自己紹介が出来る日が来たなんて…嬉しくてたまりません!!まあ、つべこべ言わずに始めますか!

私を一言で表すなら… ”面倒見がいい”?はたまた”おっせかいな性格”?

簡単に私の自己紹介をさせていただきたいのですが…。

さて、問題です!私の出身地はどこでしょうか?ヒントがてらに好きな食べ物は魚介類全般です。中でも甲殻類には目がありません。…おわかりになりましたか?…そうです!北海道です!高校卒業まで北海道の田舎町で育ち、大学で東京に上京いたしました。

私には4つ上に兄が1人おります。そんなのどうでもいいよ!と思われるかもしれませんが、これが私の良くも悪くも面倒な性格に大きく関わるのです…。

彼は甘えたで意気地なしの、頼りない兄でした。

彼は音楽が好きで、レンタルCDショップに行くたび、妹の私に言うのです。「あの曲、あるか店員さんに聞いてきて!」と。
他にも、遠足の準備をしてあげたり、漢字が苦手な兄の代わりに漢字の宿題をしてあげたこともありました。(いいように使われているだけの気もしますが…。)

でも「いい子だね。」「ありがとう。」「しおりがいると助かるな〜。」と言われることが嬉しくて、もっともっと役に立ちたくなったのです

地元の雪まつりを訪れたとき、兄と撮った1枚。

そんな環境だったせいか、私は人に頼ることが苦手になっていきました。

友達同士では”姉御肌なしっかり者の同級生”で、中学では”生徒会長”になりました。生徒会長になったのは、担任の先生に推薦されたからでした。自分の意思ではないものの、先生の役に立てるならと引き受けました。役に立てないことでがっかりされるのも嫌だったので。

反対の言葉に抗う勇気はなかった。好きなことも諦めた。

高校受験の頃から、「もっと自分に正直になりたい。」と思い始めます。

私の両親は高卒で働けるように商学科のある高校に行ってほしいと願ってました。しかし私は、地元の普通校に大学進学率の高い普通校に進学。初めて自分の意見を通しました。飲食店でアルバイトを始めました。文武両道を謳う私の母校では、アルバイトよりも部活動が当たり前。1年生でアルバイトなど、異質でした。

ですが私はその時初めて、「やりたいことができる」その快感を感じました。私はアルバイトに明け暮れ、ひたむきに働きました。高校生のアルバイトながらに、お客様に笑顔になってもらうことに幸せを感じ、誇りすら覚えていたのです。

しかし、先生や両親に諭され、大学受験に集中するために、アルバイトを辞めることになりました。私自身は「もっと続けられるのに…。」と思いながら、「嫌だ、続けたい。」という勇気が出ませんでした。当時を思い出すと悔しい気持ちが蘇ります。

なんでそんなことも言えないの?と思う方もいるかもしれません。しかし「嫌」を伝えても尚、さらにダメだと言われたら…。私自身もダメだと言われている気がしてしまって。自分の本音を否定されることは、自分自身を否定されているのと同じだと。それに「いう事聞かない面倒な子」にもなりたくなくて。

アルバイト先にに友人らが来てくれたときの1枚

次の戦いを始める

大学では某ホテルチェーンのフロントで働き始めました。ここが人生のターニングポイントだったと思います。「もっと自分らしくありたい!」と言う気持ちが、願望じみたものではなく、決定的なものになったのです

ちなみにホテルで働くときも、両親には反対されました。密室の集まるところじゃ、何か危険なことに巻き込まれるんじゃないかと心配していたのです。でも英語を実践できて、何より時給も良いというのを理由に母を説得しました。

そこでは、様々な経験が出来ました。
「こんな理不尽なことで怒られるのか…。」と、心が折れる事もしばしば。ですが、尊敬できる上司に出会い、一緒に仕事をすることで、こんな社会人になりたいという指針が立ちました。この頃はサービスの道が私の天職かも知れないと思っていました。

「人の役に立つことが好き」な私には、一番向いていると誰もが思ったと思います。しかし、あらゆる場面で役に立ちたい気持ちが強すぎて、私の人生は我慢する事が多かったのも事実なのです。

私は「人の役に立ちながら、私が正直になれる仕事はないか」と考えました。そして、就活の時期を迎えた私は”就活の軸”を3つ定めました。

  1. 自分のしたいことを、したいと言える社風→大手・歴史のある所では難しい…
  2. 1年目から現場に出て、いろんな事が体験できる→大手では難しい…
  3. デジタルマーケティング業界→進化が続く業界で、価値ある人間になりたい…

以上を軸とし、就活を進めていました。その中で、一般に安定していると言われる大手や中堅の企業では、若いうちから自分のしたいことを発信することは難しいと気がつきます。そしてそのとき初めて、ベンチャー企業への就職を視野に入れました。プルークスとは、その直後に出会いました。

プルークスを知るほど思ったのです。「ココに行きたい!」と。

しかし、その時両親の顔が浮かびました。せっかく大学まで通わせて貰ったんだから、「両親が一度は聞いたことのあるような企業に就職してあげたい」という気持ちも頭の隅にあったのです。

実際、両親もテレビで得たベンチャー企業のイメージがあり、「ブラックなんじゃない?」「怪しい会社なんじゃない?」と心配していました。幸いにも他にいくつか内定をいただいており、”両親が望む安定した企業”への就職も可能な状況でした。

でも、どうしてもプルークスに行きたいと思ったのです。安定したどの会社でもなく「プルークスが良い!」と思ったのです。私は離れて住む母に電話をして、プルークスの魅力をプレゼンしました。

「自分のしたいことのために、我慢するのは辞めよう」そう決意をした瞬間でした。

自由になる。モノサシを放り捨てて。

「『嫌だ。』が言えなかった私が、自分の欲に素直になったその末路」としては、無事にプルークスに入社したことになりますかね?(笑)

自分のしたい事をするというのは、実はとても難しい事です。周囲の人に理解してもらわないといけません。反対する人がいれば説得しないといけません。周囲の協力が必要な場合は尚更です。

その過程を通して、したいことにはさらなる磨きが掛かります。自分1人のしたいことが、みんなのしたいことになっているかもしれません。私は今まで我慢することが多かったと思っています。でもそれは両親や先生が悪いんじゃありません。私が人に訴えかける労力を惜しみ、否定されることから逃げた結果なのです。

これからの私は、自分のしたいことは何かという問いに真摯に向き合います。これからの私は、自分と違う考えに対して議論する勇気を惜しみません。人の気持ちを考えられない人間にはなりたくないけど、自分の気持ちに嘘をつくのは嫌なので。

…と、真面目にお送りしましたがいかがでしょうか?

思ったより長文になってしまいました。今後、プルークスで自分らしく、頑張っていきたいと思います。お付き合いいただき、ありがとうございました!では、また会う日までさようなら!

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